東京都にある「海抜0m以下の土地」(通称ゼロメートル地帯)の面積は1万2400haで濃尾平野(愛知県)、佐賀平野、越後平野(新潟県)に次いで全国4位。人口の密集度ではダントツのTOPです。そんな東京23区のゼロメートル地帯は縦横に運河の走る江東区、墨田区、江戸川区、葛飾区などです。
満潮時の海の高さよりも低い土地=ゼロメートル地帯
「海抜ゼロメートル地帯」とは、「満潮時の海の高さよりも低い土地」を表す言葉。
ゼロメートルといっても実際には標高0mということではなく、マイナスの場所も多いのが特長です。
さらに、東京の下町では、大正時代に始まり、高度成長に増大した地下水(工業用水)の汲み上げにより、広範囲での地盤沈下が発生。
水を含んだ地層が徐々に収縮し、地面が沈下、「海抜マイナスメートル地帯」が増加したのです(昭和40年代に地下水の汲み上げが規制されています)。
東京都下のゼロメートル地帯は、面積では全国4位ですが、エリア的には東京都の東部、すべてが23区内で、居住人口はなんと176万人にも及んでいます(2位は大阪市周辺で138万人、3位は名古屋市西部で90万人/大阪駅、名古屋駅近くまでゼロメートル地帯です)。
江東デルタ地帯と通称されるのは、墨田区、江東区の全域と江戸川区の一部で、東が荒川、西が隅田川、南に東京湾が囲む一帯で、このエリアがゼロメートル地帯の中核。
最も低い地点は江東区の砂町(すなまち)で、なかには標高がマイナス4mという場所も。
東京23区のゼロメートル地帯はおもに荒川沿いで、江戸時代に干拓、明治時代にはまだまだ田んぼが広がっていた場所です。
砂町という地名も、多くの新田を合併させた砂村新左衛門一族が開拓した砂村新田がルーツで、明治22年4月、砂村が生まれ、大正10年6月に砂町に改称、昭和7年10月1日、城東区が成立したとき砂の字を残して北砂町・南砂町となり、昭和41年~昭和42年の住居表示制度実施で北砂・東砂・南砂・新砂に分けられたもの。
東砂も江戸時代には荻新田(おぎしんでん)、又兵衛新田(またべえしんでん)、太郎兵衛新田(たろべえしんでん)、中田新田、大塚新田あった場所。
かつての埋め立て地帯は堤防で囲まれていますが、そこを流れる大河の荒川、隅田川、その水を取り入れる運河も天井川(川床が住宅地よりも上に位置)になっていることはあまり知られていません。
東京都江東区の北部を東西に横断し、隅田川と旧中川を結ぶ運河の小名木川(おなぎがわ)は徳川家康が開削した運河ですが、パナマ運河的な扇橋閘門(おうぎばしこうもん)を設置して、意図的に水位を1mほど下げています。
流域全体で洪水を防ぐ「流域治水」で洪水を防止
ゼロメートル地帯の北部に位置する東京スカイツリーは、ゼロメートル地帯の展望台ともいえる場所で、東京スカイツリー脇を流れる北十間川(きたじゅっけんがわ)の水面もマイナス2mという標高です。
江東区内部の河川の水位は、閘門(ロックゲート)を築いて荒川よりも低くしていますが、小名木川(おなぎがわ)排水機場などのポンプをフル稼働させて、河川の水位を一定の高さに(荒川よりも低く)保っているのです。
2019年に日本列島を襲った台風19号では、荒川の上流部で200年に一度の大雨を観測、その結果ゼロメートル地帯を貫く荒川の水が増水、氾濫危険水位にまで達しています。
もし氾濫すれば、荒川より低く、堤防に囲まれたゼロメートル地帯は、水没ということに。
隅田川は、荒川よりも堤防が5m以上低いため、さらに氾濫の危険は高まりますが、隅田川の水位上昇を防ぐため、北区赤羽で荒川と隅田川の分岐点に設けられた岩淵水門(いわぶちすいもん)のゲートを12年ぶりに遮断。
もし、岩淵水門が閉じていなかったら、都心のゼロメートル地帯は確実に浸水していたのです。
荒川の中流部、岩淵水門の上流12km地点にある荒川彩湖公園一帯は、万一のときに水を貯める荒川第一調節池ですが、台風19号の際は、東京ドームおよそ30個分の水を貯め、下流部の氾濫を防いでいます。
流域全体で洪水を防ぐ「流域治水」というシステムのおかげで、江東デルタ地帯が浸水から守られたということに。
ちなみに、万一浸水する自体が発生した場合は、江東5区(江東区・墨田区・足立区・葛飾区・江戸川区)のゼロメートル地帯の浸水は2週間以上続くと想定されているので、食料など生活必需品の備蓄は必須です(江東5区のハザードマップでは、浸水の恐れのない「区外への広域避難」を訴えています)。
意外に多い「海抜0m以下の土地」 東京23区には1万2400haも! | |
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