JR・京急品川駅・高輪口から、西に国道15号(第一京浜)を横断歩道を渡った、東京都港区高輪4丁目。品川プリンスホテルが目に入りますが、その柘榴坂(ざくろざか)側、つまりは北側にあるのがショッピングセンター「ウィング高輪」。ここに京浜電気鉄道・高輪駅があったことを知る人は、ほとんどいません。
東京市電乗り入れの馬車軌間で、高輪停留場として開業

この京急ショッピングセンター「ウィング高輪」のある場所は、かつて京浜急行電鉄の本社があった場所。
京急本社の入った「高輪ビルディング」跡地に昭和58年に開業したのがウィング高輪で、京急ショッピングセンターの1号店です。
京浜急行電鉄の前身は、京浜電気鉄道。
京浜電気鉄道は、高輪の先で、東京市電に乗り入れる目的で、青山線(白金猿停留場〜高輪停留場)の免許を申請、大正14年3月11日、八ッ山〜高輪間の路線を敷設し、9月1日に駅ビルの高輪ビルディング(現在の「ウィング高輪」のある場所)を開業しています。
つまりは、省線・品川駅(現・JR品川駅)と国道を挟んで高輪駅(正式には高輪停留場)を開業したのです。
東京市電は品川駅前に電停があったので、市電への乗り入れが可能となったのです。
当時の高輪駅は、4面3線の旅客ホーム、1面1線の貨物ホームを有するかなり大きなターミナル駅でした(東京市電はひとつ横浜側北品川駅まで乗り入れ)。

昭和8年4月1日に品川駅発に軌道を変更、廃駅に
京浜電気鉄道は湘南電気鉄道(昭和5年4月、黄金町駅〜浦賀駅、金沢八景駅〜 湘南逗子駅で営業運転を開始)との相互乗り入れを実現するため、東京市電に合わせた馬車軌間の1372mmから1435mm軌間に改軌、それに合わせて、湘南電気鉄道も昭和6年12月、黄金町駅〜日の出町駅が延伸開業し、京浜電気鉄道と連絡、横浜駅への乗り入れが実現しました。
こうして現在の京急本線などの原型が生まれましたが、この湘南電気鉄道との相互乗り入れが実現したことで、東京市電の線路を使っての青山方面への乗り入れを断念することに(後に都営地下鉄浅草線と相互乗り入れで都営交通と相互乗り入れを再開)。
こうして高輪駅の意味合いがなくなったため、鉄道省・品川電車区の用地を譲り受けて、新たに品川駅を新設したのです。
昭和8年4月1日に品川駅発に軌道を変更し、高輪駅は廃駅となりました。
その後も旧高輪駅横の高輪ビルディングに京急本社は入り続けていましたが、ウィング高輪建設時に高輪2丁目に移転しています(令和元年に横浜市西区高島1丁目に移転)。
こうして長らく本社があり、ターミナル駅だった高輪駅は、痕跡もなく消え去り、今ではそれを知る人もほとんどいなくなったのです。

【東京の廃駅】 品川プリンスホテル付近に「高輪駅」があった! | |
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