東京都西東京市にある下野谷遺跡(したのやいせき)は、縄文時代中期(5000年前〜4000年前)の環状集落。環状集落が谷を挟んで複数存在する拠点的な場所で、その規模、様相は南関東では最大級。しかも出土する土器からその繁栄は1000年も続いていたことがわかり、関東の縄文人を知る大きな手がかりになっています。
2025年は国の史跡に指定されて10周年

石神井川(しゃくじいがわ)沿いの高台では、戦前から、畑の耕作などの際に縄文土器のかけらなどが多く見つかることが知られていました。
昭和初期まではホタルが舞う湿地だったこと、温暖な縄文海進時(内陸深くまで海が浸入)には海辺だったことから、採集や狩猟により生活をしていた人々にとっては絶好の生活の場だったと推測できます。
私有地ということもあって本格的に発掘調査が始まったのは、昭和48年から。
旧字名をとり下野谷遺跡という名称が付けられたのも昭和50年のこと。
以降の発掘調査によって旧石器時代から縄文時代後期にかけての遺構や遺物が出土していますが、とくに繁栄したのは縄文時代の中期です。
西集落は直径150mほどの範囲に、竪穴建物107棟、土坑墓群166基、倉庫と推定される掘立柱建物群が見つかっています。
谷を挟んだ東側の東集落はさらに規模が大きく、東西300m、南北180mもあり、西集落とほぼ同時期に生活が営まれていたことがわかっています。
つまりは、「双環状集落」ということになり、石神井川流域の拠点集落だったことが判明しています。
平成19年には遺跡保護のため西集落の一部を公有地化し、下野谷遺跡公園を開園。
平成27年に下野谷遺跡公園を中心とした西集落の一部が国の史跡に指定されています。
集落には、集団墓と推測される土坑群(どこうぐん)のある広場を囲むように、住居や掘立柱建物(倉庫などと考えられる建物)群などが並び、まさに縄文時代中期の典型的な環状集落を構成しています。
出土した土器は、勝坂式土器(神奈川県相模原市勝坂遺跡から名をとった関東地方に多い土器)、加曽利E式土器(千葉県千葉市の加曽利貝塚で発掘された土器を基準に名付けられた関東全域で出土する土器)が中心ですが、甲信越や南東北の土器の影響を受けたものもあり、広範囲の交流があったこともわかっています。
下野谷遺跡公園では、竪穴建物、縄文時代の墓が復元され、クリやクルミの木も植栽され、遺跡の内容を知ることができる解説版が設置され、関東の縄文人の生活を垣間見ることができます。
南関東最大の縄文集落跡が、首都圏にありながら奇跡的に残された貴重な遺跡。
とくに縄文時代の中期は、大規模な拠点集落が発達する時代で、ヒスイや黒曜石などの交易も盛んになった頃です(縄文時代後期には大規模な拠点集落は減少、集落の拡散化、分散化が進行)。
エジプトではクフ王のピラミッド建設、そしてインダス文明が始まった時代の関東平野に思いを馳せるのもいいでしょう。

縄文時代、南関東最大級の集落が東京都内に! 「関東の縄文人」を知ろう | |
名称 | 下野谷遺跡/したのやいせき |
所在地 | 東京都西東京市東伏見6-4 |
場所 | 下野谷遺跡公園 |
関連HP | 西東京市公式ホームページ |
電車・バスで | 西武新宿線東伏見駅から徒歩7分 |
駐車場 | なし |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |