東京都荒川区にあるJR山手線・京浜東北線・常磐線、京成本線、そして日暮里・舎人ライナーの日暮里駅(にっぽりえき)。お隣の西日暮里とともに、不思議な名前の駅名ですが、実は武蔵国豊島郡日暮里村という村の名前に由来する地名。「日暮らしの里」という優雅な名前で、江戸時代の行楽の地。
江戸時代中期頃、花見に絶好の「日暮らしの里」が誕生

中世には武蔵国豊島郡谷中村(やなかむら)の一部で、谷中村新堀(にいほり)という地名でした。
現在の日暮里駅のある場所は、武蔵野台地東端の崖下、上野駅〜田端駅を走る山手線、京浜東北線は崖下に沿って走っています。
起伏のある土地で、西側には「へび道」と呼ばれるクネクネ道もありますが、実は藍染川という川の暗渠部分です。
上駒込村(豊島区)の長池を水源とし、不忍池に注ぐ川で、大正時代に暗渠となっています。
谷中という地名のとおりに谷の中というのがわかりますが、諏訪神社の建つあたりは武蔵野台地の高台で、太田道灌が出城を築いたという伝承で道灌山(どうかんやま)、諏訪台と呼ばれています。
今も谷中七福神など、寺町としても知られますが、寛延年間(1748年〜1751年)の頃から、江戸の園芸ブームを背景に、そこに集まる寺の庭に桜ツツジが競うように植栽され、風光明媚な行楽地になっていきました。
春の桜、秋の紅葉、そして道灌山での「虫聴き」(むしきき)。
「虫聴き」というのはあまり聞き慣れない言葉ですが、江戸時代には夕涼みを兼ねて、鈴虫の声を聞きたい時は飛鳥山(あすかやま/北区・王子駅の隣)、松虫の場合は道灌山へと、出かけたのです。
とくに道灌山は、日暮しの里、筑波や日光の山並み、下総国府台(しもうさこうのだい)などを眺める景勝地で、のんびり過ごすのには最適だったのです。
日の暮れるのも忘れるから「日暮しの里」というのは、谷中の感応寺(現・天王寺)裏門から諏訪神社(諏訪台)・道灌山一帯を指す言葉で、いかにも風流人や文化人に愛された土地らしい名前。
諏訪台からは、厄除けの願いを掛けて皿などを投げる土器投げ(かわらけなげ)も行なわれていたので、まさに現在の行楽地と変わりがない感じです。
諏訪神社の境内からは今も山手線、京浜東北線などを眼下に、晴れていれば筑波山方面を眺望します。

【駅名の由来】 日暮里駅は、「日暮らしの里」にある | |
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