国鉄が分割民営化する以前、現在の東京、大阪の2大都市圏の近距離専用電車は国電と称されていました(それ以前鉄道院時代は院電、鉄道省時代は省電)。昭和32年登場の国鉄101系電車(初の新性能電車)以前の電車が、旧型国電。首都圏で最後まで走ったのがクモハ12形で、東京総合車両センターに保存されています。
昭和初期に製造された車両が、平成8年まで鶴見線で走行
鉄道模型などで、人気が高く、現在再注目されているのが、旧型国電。
近代的なカルダン駆動(モーターを車軸から切り離し、台車枠に取り付ける方式)を採用したモハ90系(後の101系電車)登場以前の電車のことを指し、従来型となる吊り掛け駆動の国鉄電車たちが旧型国電と呼ばれるもの。
飯田線などでは最後まで活躍していましたが、首都圏でも平成8年3月まで鶴見線大川支線で現役で活躍していました。
首都圏でも最後まで走っていたのがクモハ12形です。
両運転台式3扉ロングシート、車体長17m級制御電動車で、昭和4年〜昭和6年に国鉄31系電車として製造された車両。
昭和28年6月1日に施行された車両形式称号規定改正により、片運転台の三等制御電動車はクモハ11形、両運転台の三等制御電動車はクモハ12形、三等制御車はクハ16形と改称されたもの。
いずれにしても昭和初期に製造された車両が、平成になるまで首都圏でも走っていたことに。
太平洋戦争中の酷使、そして空襲で多くの車両が失われましたが(昭和20年4月13日に池袋電車区、4月15日に蒲田電車区の車両が空襲で焼失)、クモハ12形も9両しかないという状況でしたから、平成まで現役だったのはまさに奇跡ともいえます。
現存する車両は、鉄道開業150周年を記念して東京総合車両センター(東京都品川区)内に保管されてきた車両を往時の状態に復元した旧型国電クモハ12052。
首都圏では昭和54年ころまでに旧型国電はほとんど姿を消していましたが、17mサイズの電車が武蔵白石駅の分岐でのカーブに最適ということで、大川支線でだけ生き延びていたのです。
後に武蔵白石駅の大川方面に向かうホームを廃止することで、お役御免に。
それでも平成まで活躍したからこそ、廃車にならず、こうして保管車両が生まれたということに。
2両編成で運用された相方のクモハ12053も当初は大井工場(現・東京総合車両センター)に保管されていましたが、残念ながら廃車となり、解体されてしまいました。
東京総合車両センターで実施される撮影会などのイベント時のみ公開されています。

首都圏最後の旧型国電「クモハ12形」は、東京総合車両センターに保存 | |
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