東京都文京区、東京大学本郷キャンパスにあるのが有名な赤門。正式名は、旧加賀屋敷御守殿門で国の重要文化財に指定されています。加賀藩上屋敷の御住居表御門で明治36年、15mほど移築されていますが、藩邸時代のままに現存しています。なぜ赤く塗られているのかはあまり知られていません。
将軍家から姫君を迎えるという栄誉を表す朱塗りの門

この加賀屋敷御守殿門、文政10年(1827年)、加賀藩第13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)に11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の第21女・溶姫が輿入れした際に築かれたもの。
家斉は16人の妻妾を有し、徳川将軍の中で最多となる53人の子女(息子26人・娘27人)を授かっています。
ただし早逝する子供が多い時代のため成人したのは28人、そのうち血筋を残したのはわずかに3人しかいません。
3人のうちのひとりが溶姫で、文政6年4月11日(1823年5月21日)に加賀藩・前田家との婚姻が調い、文政10年11月27日(1828年1月13日)、15歳で輿入れしています。
加賀藩が幕府に対しての権力を有したいという考え(家斉の子を養子もしくは正室として大名家に対しては特別な待遇が与えられました)、大大名の前田家と親戚関係を築いて、幕末に将軍家の安寧を図ろうという動きが重なり、政略結婚が生まれたのです。
嫁いだ後も溶姫や女中は、将軍家の威光で威圧的だったともいわれていますが、13代加賀藩主・前田慶寧(まえだよしやす)を産んでいます。
将軍家から姫君を迎えるという栄誉を表すのが赤門で、朱漆に塗られる門は、徳川将軍の娘が嫁ぐ際に、大名家が「御守殿門」として建てる際にのみ許されたものです。
御守殿とは、江戸時代に三位(さんみ)以上の大名に嫁いだ将軍の娘を指す敬称で、御三家のほかは前田家、伊達家、島津家、越前松平家など限られていました。
しかも焼失しても再建が許されなかったため、現存する赤門は実に貴重な存在ということに(現存する唯一の御守殿門)。
| 東大の門はなぜ赤いのか!? | |
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