上野恩賜公園・ボードワン博士像
東京都台東区、上野恩賜公園内にある銅像のひとつが、ボードワン博士像。幕末の慶応4年(1868年)、上野戦争(戊辰戦争)によって荒廃、明治新政府が病院建設地と決めていた上野の山を、近代的な公園にすべきと提言した長崎医学校教…
東京都台東区、上野恩賜公園内にある銅像のひとつが、ボードワン博士像。幕末の慶応4年(1868年)、上野戦争(戊辰戦争)によって荒廃、明治新政府が病院建設地と決めていた上野の山を、近代的な公園にすべきと提言した長崎医学校教…
東京都台東区、上野恩賜公園のほぼ中央に立つのが、小松宮彰仁親王像(こまつのみやあきひとしんのうぞう)。幕末の鳥羽・伏見の戦いでは征討大将軍に任命され、戊辰戦争では奥羽征討総督として指揮を執ったのが小松宮彰仁親王。明治45…
東京都台東区、上野恩賜公園のほぼ中央、小松宮彰仁親王像(まつのみやあきひとしんのうぞう)近くにあるのが、グラント将軍植樹碑。明治12年8月25日、来日中のグラント将軍が上野公園で歓迎会が開催された際、植樹したことを記念し…
東京都台東区谷中7丁目、都営谷中霊園に囲まれた寛永寺墓地にあるのが、徳川慶喜の墓。神式で埋葬されたため、円墳状の墓で、徳川幕府最後の将軍となった徳川慶喜とその妻・美賀子の墓が並んでいます。現在の谷中霊園一帯は江戸時代には…
東京都台東区谷中7丁目、谷中霊園内にあるのが、天王寺・五重塔跡。寛政3年(1791年)に再建された天王寺五重塔は、戊辰戦争の戦火を免れたのですが、昭和32年7月6日に放火(谷中五重塔放火心中事件)で焼失。幸田露伴の小説『…
東京都台東区谷中にある天台宗の寺、天王寺(てんのうじ)。江戸時代には「江戸の三富」と呼ばれた富くじを発行する寺として隆盛した名刹ですが、天王寺墓地には、有名人の墓も多数。そのひとつが「日本の植物学の父」といわれれる牧野富…
東京都台東区谷中にある天台宗の寺、天王寺(てんのうじ)。谷中霊園の一画に建つのは、谷中霊園は神仏分離、廃仏毀釈以前は、境内地だったから。そんな天王寺の境内に鎮座する露座の大仏が元禄大仏と呼ばれる釈迦牟尼如来坐像。元禄3年…
東京都台東区花川戸にある浄土宗の寺、九品寺(くほんじ)。その境内にある銅製の阿弥陀如来坐像が九品寺大仏で、明暦3年(1657年)、江戸の大半を焼き尽くした明暦の大火(めいれきのたいか)で亡くなった人々の菩提を弔うため、万…
東京都台東区谷中7丁目、谷中霊園のなかにあるのが、渋沢栄一墓所。昭和6年11月11日、渋沢栄一は飛鳥山の「曖依村荘」(あいいそんそう)と呼ばれた自邸(跡地が飛鳥山公園・旧渋沢庭園)で91年の生涯を終え、渋沢家墓所に眠って…
東京都台東区、上野恩賜公園の不忍池(いのばずのいけ)にあるのが、不忍池ボート場。不忍池は、弁天島を中央に、北側の鵜の池、ハスが茂る南側の蓮池、西側(不忍通り沿い)のボート池に分かれています。ボート乗り場はボート池の弁天島…
東京都台東区上野公園、上野恩賜公園の東京国立博物館東側に建つのが東叡山輪王寺(寛永寺開山堂)。輪王寺はもと寛永寺の伽藍の一部で、開山堂または慈眼堂と称されていたもので、天海大僧正(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)を…
東京都台東区、上野恩賜公園の不忍池(しのばずのいけ)寄り、上野精養軒近くに建つのが、寛永寺時鐘堂。「上野の時の鐘」として、時を今も告げる歴史的な時鐘です。寛文6年(1666年)に設置された鐘で、往時は江戸市中に9ヶ所の時…