東京都台東区、上野恩賜公園のほぼ中央に立つのが、小松宮彰仁親王像(こまつのみやあきひとしんのうぞう)。幕末の鳥羽・伏見の戦いでは征討大将軍に任命され、戊辰戦争では奥羽征討総督として指揮を執ったのが小松宮彰仁親王。明治45年2月に上野公園内に銅像を建立(3月18日に除幕式)。
日本赤十字社の創始者、佐野常民の提案で建立された銅像
小松宮彰仁親王は、伏見宮邦家親王(ふしみのみやくにいえしんのう)の第8王子。
幕末には仁和寺第30門跡を務めていましたが、還俗を命ぜられ、仁和寺宮嘉彰親王(にんなじのみや よしあきしんのう)と名乗って奥羽征討総督として官軍の指揮を執り、明治3年に東伏見宮に改めて、明治7年の佐賀の乱では征討総督、明治10年の西南戦争にも旅団長として出征。
明治15年、宮号を仁和寺の寺域の旧名小松郷に因んで小松宮に改称しています。
ヨーロッパの王族が進んで軍務に就いていることを倣い、明治23年、陸軍大将に昇進し、近衛師団長、参謀総長を歴任、日清戦争では征清大総督に任じられ旅順に出征しています。
日本赤十字社、大日本水産会、大日本山林会などの総裁を務めるなど、社会事業にも貢献。
明治36年2月18日、57歳で没(墓所は豊島岡墓地)。
銅像は、佐野常民(さのつねたみ)が、明治35年、日本赤十字社設立25周年の記念としての建立を提案したもの(佐野常民は、明治35年没)。
小松宮彰仁親王が旅団長として出征した西南戦争の際に負傷者介護にあたる公的機関として博愛社の設立を提唱したのが佐野常民です。
この博愛社は、日本赤十字社の前身で、初代の博愛社総長は、東伏見宮嘉彰親王(小松宮彰仁親王)だったのです。
銅像の制作は、東京国立博物館表慶館前のライオン像も手掛けた彫刻家・大熊氏廣(おおくまうじひろ)。
小松宮彰仁親王像近くにはグラント将軍植樹碑もあります。
上野恩賜公園・小松宮彰仁親王像 | |
名称 | 上野恩賜公園・小松宮彰仁親王像/うえのおんしこうえん・こまつのみやあきひとしんのうぞう |
所在地 | 東京都台東区上野公園5-20 |
関連HP | 上野恩賜公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR上野駅から徒歩5分 |
ドライブで | 首都高速上野ランプから500m |
駐車場 | 上野恩賜公園第一駐車場(100台/有料) |
問い合わせ | 上野恩賜公園管理所 TEL:03-3828-5644/FAX:03-3827-7752 |
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