江戸時代、紀伊(紀州徳川家)、尾張(尾張徳川家)、井伊(井伊家)のそれぞれの屋敷があった東京都千代田区紀尾井町にある公園。紀州徳川家と井伊家の境からは清水が湧き出し、一帯は清水谷と称されていました。明治23年に一帯の土地が東京市に寄贈され、清水谷公園として整備。昭和40年に千代田区に移管され、現在は区立公園になっています。
玉川上水幹線(本管)の石枡も展示
公園内には往時の湧水の復元と心字池、憩いの広場があるほか、昭和45年の麹町大通り拡幅工事の際に、千代田区麹町3丁目2番地先から出土した玉川上水幹線(本管)の石枡が展示されています。
この石枡は、四谷御門をわたり、江戸城内に向かう玉川上水幹線のもの。
石枡に木樋を繋いで水を通していました。
明治11年5月14日にはこの近くで、石川県士族・島田一郎ら、不平士族6名の手により内務卿・大久保利通が暗殺される「紀尾井坂の変」が勃発。
公園内には大久保利通哀悼碑も立っています。
江戸切絵図に見る 清水谷
井伊家と紀州徳川家の間が清水谷。
井伊家屋敷跡はホテルニューオータニ東京、紀州徳川家屋敷跡はグランドプリンスホテル赤坂、そして尾張徳川家は上智大学のキャンパスになっています。
清水谷公園 | |
名称 | 清水谷公園/しみずだにこうえん |
所在地 | 東京都千代田区紀尾井町2 |
関連HP | 千代田区観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ赤坂見附駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 千代田区観光協会 TEL:03-3556-0391 |
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