1575(天正3)年、法印祐賢上人(ほういんゆうけんしょうにん)が開基となって、大沢孫右衛門尉(おおさわまごえもんのじょう)が麹町(こうじまち)九丁目に開いた寺。江戸城の外濠開削、周辺整備のため、寺町全体として四谷に移りました。寺の前の坂道は東福院坂(天王寺坂)で、昔から名がある名刹だとわかります。
豆腐地蔵の伝承を今に伝える
江戸時代には、麹町は半蔵門から順に一丁目から十三丁目までありました。1634(寛永11)年、江戸城西丸が全焼した際、城の北西の外濠を拡張・新設し、四谷見附造営時に一帯の寺町は四谷に集団移転しています。
当時、麹町、平河町(平川町)は寺町で、平河町に二十六ヶ寺、麹町には三十四ヶ寺がありました。
集団移転した寺のひとつ、宝珠山東福院は、根来寺(ねごろじ/和歌山県岩出市)が本山という真言宗の寺。
境内には有名な豆腐地蔵、聖観音像などが立っています。
豆腐地蔵は、1649(慶安2)年、法印祐賢上人のひ孫が死んだ時、供養のため建立されたと伝えられています。
豆腐地蔵という名は、不思議な伝承に由来。
安永年間(1772年~1781年)、東福院坂下に豆腐屋があり、その主人は近隣の憎まれ者だったとか。
東福寺のこの地蔵尊が、邪悪の心を直すために坊主に姿を変えて豆腐を買いに通いました。
ところがその代金がいつも木の葉に変わってしまうため、豆腐屋の主人は怒りのあまり、店先で坊主の手首を切り落としてしまいます。
その後、店主が血の跡をたどると、東福院の地蔵堂にたどりつきます。
そこで、ようやく、豆腐屋の主人は地蔵尊の戒めと悟り、改心したということです。
以来、豆腐地蔵は切り落とされた手首をさすると、傷・腫れ物が治ると信仰を集め、豆腐が供えられるようになったのです。
第二次大戦までは切り落とされたお地蔵様の手首もあったそうですが、一帯が焦土と化した大戦の混乱で、行方知らずになってしまいました。
ちなみに東福院は、1755(宝暦5)年頃に創始された空海(弘法大師)ゆかりの寺を巡る「御府内八十八ヶ所霊場」の21番札所。
江戸切絵図に見る 東福院
東福院 | |
名称 | 東福院/とうふくいん |
所在地 | 東京都新宿区若葉2-2 |
関連HP | 東福院公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅から8分。または、JR・東京メトロ丸ノ内線・南北線四ツ谷駅から徒歩7分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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