江戸城同心番所(皇居東御苑)

江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。同心番所は門の外から内に移設されてはいますが、往時の姿を今に伝えています。

同心番所は登城する大名の供の者を監視

江戸城の城内には数十メートルごとに同心番所、百人番所、大番所という3ヶ所の番所があり、城の奥の番所ほど位の高い役人が詰めていました。大手三の門手前にある同心番所は、もっとも入口に位置する番所で、登城する大名の供の者を監視していました。
大手三の門の手前には大手濠と桔梗濠があり、下乗橋が架かっていました。下乗橋入口脇でお供のものをまずはチェックしたわけです。

大手三ノ門の警備は、鉄砲25、弓25で百人番所と同じ鉄砲百人組の与力・同心が担当していました。

同心とは下級役人の総称ですが、徳川家に信任篤い御家人が務めていました。

往時には、門の手前に番所という構造になっており(現在、濠は埋め立てられ、同心番所も門の内側に移されています)、大手三の門を駕籠や馬に乗ったまま通ることができたのは、尾張、紀州、水戸の徳川御三家だけ。

下乗橋」という名の通り、御三家以外の大名は駕籠や馬から降ろされ、臨検を受け、お供はここで主の帰りを待つことも多かったとか。
お供同志の話も盛り上がって、他家との情報交換が行なわれ、「下馬評」という言葉まで生み出されました。

同心番所の棟瓦や軒端に瓦には、葵の紋(三葉葵)が付いている点にも注目を。

大手三の門
1635(寛永13)年、伊勢津藩主・藤堂高次(とうどうたかつぐ/築城の名手・藤堂高虎の子)が枡形の三方を多聞櫓で囲む江戸城唯一の門である大手三の門を築きました。大手三の門前には濠があり、そこに下乗橋が架かっていました。つまり、現在の休憩所売店は、往時の濠のなかに位置しています。警護の与力・同心が詰めた同心番所も橋の手前にありました。なぜなら登城する大名のお供の監視にあたっていたからで、門の内側(現在の位置)では、役目が果たせません。

石垣も美しい大手三の門跡。内側にチラリと同心番屋が見える

古地図と園内図の対比で知る同心番所




 

江戸城同心番所(皇居東御苑)
名称 江戸城同心番所(皇居東御苑)/えどじょうどうしんばんしょ(こうきょひがしぎょえん)
所在地 東京都千代田区千代田1-1
関連HP 宮内庁公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ東西線・都営三田線大手町駅から徒歩6分。東京メトロ東西線竹橋駅から徒歩10分、JR東京駅丸の内北口から徒歩11分
駐車場 無/大手センターパーキング(185台/有料)などを周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 宮内庁 TEL:03-3213-1111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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