東武伊勢崎線の浅草駅〜東武動物公園駅、押上駅〜曳舟駅間が東京スカイツリーラインという愛称で呼ばれるようになっていますが、とうきょうスカイツリー駅(東京都墨田区)も平成24年3月16日までは業平橋駅(なりひらばしえき)でした。さらに遡ると、明治43年3月1日〜昭和6年5月24日まではこの駅が浅草駅だったのです。
現・浅草駅が浅草駅を名乗るのは戦後のこと!

大正時代の人が、現代にワープしたら、浅草駅は引っ越したと思うでしょうが、現在の浅草駅の開業は意外に新しく、昭和6年5月25日のことで、当時の駅名は浅草雷門駅でした。
地下鉄銀座線の前身、東京地下鉄道の浅草駅は昭和2年12月30日に開業しているので、4年半の遅れで駅が生まれたということになります。
東武鉄道は明治時代に北千住を起点に北関東方面に路線を延ばし、東京を代表する繁華街、浅草に駅を築くのは悲願だったのです。
浅草乗り入れを目論む私鉄としては、京成電気軌道(現・京成電鉄)も同じで、押上を起点に参詣鉄道として成田へと路線を伸ばしていましたが、浅草をターミナル化することは大きな狙いでした。
隅田川越えることができなかった東武は、東武は明治35年4月1日開業の吾妻橋駅(あづまばしえき)を起点に明治37年4月5日、東武亀戸線経由で総武鉄道・両国橋(現在の両国)へと結んだのです。
さらに明治43年3月1日、吾妻橋駅を浅草駅(現・とうきょうスカイツリー駅)と改称しているので、早期に隅田川を越えることはいったん諦め、改称した浅草駅と業平橋とを結ぶ東京鉄道の路面電車と連絡して、都心部へのアクセスを実現しました。
東武と京成は、ともに浅草延伸の免許を申請しますが、京成は浅草延伸で政治家に賄賂を渡していたことが発覚し、社長、専務が逮捕という大事件「京成電車疑獄事件」が発生。
東武鉄道の浅草乗り入れが実現したのです(京成は上野乗り入れに転換)。
こうして昭和6年5月25日に浅草雷門駅が誕生。
浅草駅というままではおかしいことになるので、業平橋駅という駅名にしたのです。
東武のターミナル駅は浅草駅(業平橋駅)のから浅草雷門駅に完全に移りますが、浅草雷門駅が浅草駅と改称するのは、戦後の昭和20年10月1日のこと。
つまり、戦前は、浅草駅でなかったということになります。
駅ビルのテナントとしての松屋浅草店の開店は、昭和6年11月1日なので、浅草雷門駅時代ということに。


| とうきょうスカイツリー駅は、もともと浅草駅だった!? | |
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