東京都荒川区、JR・京成電鉄の日暮里駅東口ロータリーに立つのが、太田道灌騎馬像(おおたどうかんきばぞう)。関東は江戸城を築城した太田道灌ゆかりの地でもあり、各地に太田道灌の銅像がありますが、勇壮な騎馬像となっているのはこの日暮里駅前の銅像。平成7年に東京荒川ライオンズクラブが寄贈したものです。
道灌山に太田道灌の出城があり、各所に伝承地が

長禄元年(1457年)に江戸城を築城したと伝えられる太田道灌。
徳川家康の関東入封の140年ほど以前の室町時代のことで、武蔵守護代・扇谷上杉家の配下の武将です。
鎌倉五山で学問を修め、足利学校(栃木県足利市)で学び、文安3年(1446年)に元服という文武両道の人だったされますが、日暮里には数多くの伝承が残されており、まさにゆかりの地。
武蔵野台地(上野台地)の東端、道灌山(荒川区西日暮里4丁目)に出城が築かれ、日暮里駅に近い本行寺(西日暮里3丁目)には道灌の物見塚があったと伝えられているので(道灌丘碑が立っています)、現在の西日暮里駅〜日暮里駅背後の高台、道灌山から諏訪台にかけては、太田道灌の山城的な場所だったと推測できます。
西日暮里駅に近い、道灌山の麓に建つ青雲寺(西日暮里3丁目)は、「日暮しの里」の花見寺として有名ですが、舟で道灌の出城を目指すための目印となったという日暮里船繋松の碑が立っています。
現在の不忍通り・道灌山下交差点のある谷は、上野台地と本郷台地の間にあたり、ここを谷田川が流れて不忍池に注いでいたので、太田道灌は谷田川を遡り、道灌山下交差点あたりに舟を付けたのかもしれません。
諏訪台にある諏訪神社は、日光連山や筑波山、さらには太田道灌が築いたという下総国の国府台城(こうのだいじょう/千葉県市川市国府台)を視認できる地。
この諏訪神社は太田道灌が築いた出城の鎮守社で、太田道灌から社領を寄進されて庇護を受けたといわれています。
まさに太田道灌ゆかりの地ですが、なぜ騎馬像なのかといえば、太田道灌の有名な『山吹の里』伝説にちなんだもの。
鷹狩りの最中に、突然のにわか雨に遭い蓑(みの)を借りようと農家に立ち寄ったところ、娘は山吹の花を差し出します。
箕ではなく山吹の花を差し出された太田道灌は腹を立てますが、家臣は、「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき」という兼明親王の歌で「実の」と「蓑」をかけて「お貸しできる花はございません」と謝っているのだと諭します。
道灌はこれを大いに恥じたということですが、地元荒川区には三河島にその伝説が残されており、あえて鷹狩のイメージの銅像にしたのだとか(山吹の里伝承地は豊島区高田、埼玉県入間郡越生町にもあります)。
日暮里駅から徒歩3分の地にはその娘の銅像「山吹の花一枝像」もあります(平成30年5月設置)。
荒川区では「太田道灌をNHK大河ドラマに!推進実行委員会」を設置、積極的に太田道灌をPRしています。

日暮里は太田道灌ゆかりの地! 太田道灌騎馬像 | |
名称 | 太田道灌騎馬像/おおだどうかんきばぞう |
所在地 | 東京都荒川区西日暮里2-19 |
電車・バスで | JR・京成電鉄・舎人ライナー日暮里駅から徒歩すぐ |
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