『八丁堀の七人』、『遠山の金さん』で描かれた北町奉行所、『大岡越前』シリーズの舞台となった南町奉行所。ドラマに出てくる奉行所があったのは、実は東京駅前と有楽町駅前。都市開発により遺構は残されていないもの、北町奉行所跡、南町奉行所跡を記す碑が立っているので、一度お立ち寄りを。
北町奉行所|東京駅前(旧呉服橋門前)

所在地:東京都千代田区丸の内1-8
丸の内トラストシティの東側歩道に、復元された石組みの溝と解説板が設置
交通:JR東京駅日本橋口から徒歩3分
内容:慶長9年(1604年)の米津田政(よねきつただまさ/徳川家康の小姓で、三河譜代の武士で旗本)を初代に、幕末の慶応4年(1868年)の43代・石川利政(いしかわとしまさ/一橋徳川家家臣で旗本)まで43人が就任
27代目の北町奉行が「遠山の金さん」こと遠山景元(とおやまかげもと)で、江戸時代後期の天保11年3月2日(1840年4月4日)〜天保14年2月24日(1843年3月24日)に就任
桜吹雪の彫り物ではなく、生首が手紙を咥えたという異色の彫り物でした(明治26年、明治座の開場記念狂言として初演された『遠山桜天保日記』による)
南町奉行所|有楽町駅前(旧数寄屋橋門前)

所在地:東京都千代田区有楽町2-9-18
宝永4年(1707年)に常盤橋御門内から数寄屋橋御門内に移転、それが現在の有楽町駅および東側街区一帯で、有楽町駅中央口前広場には石組下水溝の一部が、地下広場には穴蔵(地下室)が復元展示されているほか、石材をベンチなどに転用
交通:JR・東京メトロ有楽町駅から徒歩1分
内容:慶長9年(1604年)の初代・土屋権右衛門重成(徳川家康、秀忠に仕えた旗本)に始まり、幕末の慶応4年(1868年)の佐久間鐇五郎信義まで50人が就任
大岡越前守忠相は、享保2年(1717年)就任の14代目
「遠山の金さん」で知られる遠山景元は、天保の改革を断行する水野忠邦と対立し、北町奉行職を失脚してから、改革失敗後に33代の南町奉行として返り咲いた異色の奉行です
| 東京駅前に「北町奉行所跡」、有楽町駅前に「南町奉行所跡」が! | |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |










