東京都内を走る都営バスは、1924年(大正13年)1月18日、東京市電気局が乗合バス(東京市営バス)を走らせたことがルーツで、2024年に運行100周年を迎えます。最初に登場したのがT型フォードで、馬車に似た外観から、明治時代の馬車鉄道の愛称「円太郎」をとって、円太郎バスと呼ばれました。
関東大震災で打撃を受けた東京市電の代用で登場!
東京で乗合バスが始まったきっかけは、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災。
この震災で東京を走っていた路面電車網(東京市電)が寸断され、交通手段が途絶していました。
こうした事態を打開するため、東京市電を運行する東京市電気局は、市電が復旧するまでの代替策としてバスの導入を決定。
当時は、乗用自動車が高価で大量に購入できないことから、1912年に世界最大級の自動車工場であるハイランドパーク工場が、デトロイト郊外に完成していたフォード・モーター社(Ford Motor Company)に着目。
トラック用バージョンであるTT型シャーシ(20HPエンジン付き)を800台発注し、東京市(東京23区の前身)20系統の路線に走らせました。
車台と客室の部材を緊急輸入し、日本総代理店のセール・フレーザー株式会社横浜工場にてこれを組み立て、震災後の急場をしのいだのです。
車内にはベンチしかなく、側面や後部の窓ガラスがないため、雨の日には幌を張ってしのいでいました。
明治初期に登場した、線路の上を馬が引く客車が走る馬車鉄道の通称「円太郎馬車」をもじり、「円太郎」、「円太郎自動車」、「円太郎バス」と揶揄(やゆ)され、現存1台が2020年に国の重要文化財に指定されていますが、指定名称も東京市営乗合自動車(円太郎バス)に。
11人乗りという小型のバスですが、震災後の寸断された町では小回りがきくため、重宝したのです。
トラックベースのため、乗り心地が悪いこと、事故も多く、一時期乗客離れも起こりましたが、客室にスプリングを入れるなど改良を施し、女性車掌の配置するなど、乗合自動車の「実証実験的」な役割を担いました。
現存する円太郎バスの1台は交通博物館で保存公開されていましたが、交通博物館閉館後、2011年に東京都江戸東京博物館で実施した「東京の交通100年博」で展示されて以降は、東京都交通局施設内にて保管され、非公開となっています。
都営バスが100周年、1924年に運行が始まった「円太郎バス」とは!? | |
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