聖蹟蒲田梅屋敷公園
東京都大田区蒲田3丁目にある大田区立の公園が、聖蹟蒲田梅屋敷公園(せいせきうめやしきこうえん)。江戸時代に「和中散」(暑気あたり、めまい、風邪などに服用した家庭用常備薬)の売薬所だった敷地3000坪に梅の木数百本と花木を…
東京都大田区蒲田3丁目にある大田区立の公園が、聖蹟蒲田梅屋敷公園(せいせきうめやしきこうえん)。江戸時代に「和中散」(暑気あたり、めまい、風邪などに服用した家庭用常備薬)の売薬所だった敷地3000坪に梅の木数百本と花木を…
東京台東区蔵前1丁目(西岸)と墨田区横網1丁目(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が蔵前橋(くらまえばし)。関東大震災後、帝都復興で国が架橋した6橋のひとつで、大正13年9月に着工、昭和2年11月26日竣工の…
東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山、池上本門寺。弘安5年10月13日(1282年11月14日)、日蓮がこの地で入滅(臨終)したとされる地で、正式名は長栄山本門寺。もとは当地を治めた池上宗仲(いけがみむねなか)の邸宅で、…
寛永8年(1631年)、東叡山寛永寺を開山した天海大僧正が京の清水寺に倣って建立した清水観音堂。元禄7年(1694年)に現在地に移されていますが、「清水の舞台」の前に配されているのいるのが、歌川広重も浮世絵に描いた月の松…
徳川3代(家康・秀忠・家光)に仕えた天海大僧正は、2代将軍・徳川秀忠から上野の山を寺地として与えられると寛永2年(1625年)、寛永寺を創建。寛永8年(1631年)に五重塔とともに創建されたのが清水観音堂で、京の清水寺を…
2024年4月7日(日)~4月30日(火)、東京都江東区の亀戸天神社で『藤まつり』 が行なわれます。歌川広重の『名所江戸百景』にも藤が咲く境内が描かれる東京を代表するの藤の名所。神楽殿での歌謡ショーや三味線、琴の演奏、神…
浅草寺(せんそうじ)の総門が雷門(かみなりもん)で、正式の名称は、風雷神門。その名の通り、門の左側に風神、右側に雷神の像が配されています。初代の門は942(天慶5)年頃に建てられたという歴史ある山門で、1635年(寛永1…
大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら赤穂浪士・四十七士の討ち入り事件を伝える話「忠臣蔵」であまりにも有名な泉岳寺。代々赤穂藩浅野家の菩提寺として、境内には藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)や夫人の墓の他、吉良上野介の首…
加賀藩13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が、1827(文政10)年、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の娘・溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えた際に建立された御守殿門。現在は、本郷通りに面した東京大学の本郷…
江戸城を守る主要な城門「江戸城三十六見附」のひとつで、外濠(そとぼり)に位置する枡形門。平河町2丁目の都道府県会館前の交差点一帯がかつての城門(見附)の跡。濠端に小さな園地が設けられ、一部の石垣が残され、往時を偲ぶことが…
幕末の大事件、一気に明治維新への流れとなった有名な桜田門外の変は、多くの映画化、ドラマ化がされていますが、殺害された井伊直弼(いいなおすけ)が住んでいたのが彦根藩井伊家上屋敷。門前には桜の井、柳の井という有名な井戸もあっ…
1698年(元禄11)年8月、隅田川に架橋された永代橋。富岡八幡宮の鎮座する永代島(えいたいじま)に通じる橋で、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際にも使われたという木橋です。大渡し(深川の渡し)のあった場所に架けられた隅田川4…