昌平坂

湯島聖堂との間、千代田区と文京区の境界線上にある坂が昌平坂。昌平の名は、紀元前552年9月28日、孔子(こうし)が生まれた魯国昌平郷(現・中国山東省曲阜県の東南)に由来。孔子廟(湯島聖堂)が上野から湯島に移されてから付いた坂の名といえます。

団子坂が現在の昌平坂

1690(元禄3)年、徳川綱吉が上野忍岡(しのぶがおか=現在の恩賜上野公園)から孔子廟を湯島に移し、湯島聖堂となったことから、儒学者などによって、昌平坂、昌平橋という名が生まれました。後に幕府が開いた学問所も昌平坂学問所。
1797(寛政9)年、昌平坂学問所の設置で、当初の昌平坂は現在の湯島聖堂構内に取り込まれてしまいます。代わって宝永年間(1704年〜1711年)に造られた、中山道へと上る坂(通称団子坂=団子が転ぶような急坂)が昌平坂となりました。

湯島聖堂南側の神田川沿いの坂道は、広重の錦絵にも描かれていますが、往時はそちらも昌平坂。今は相生坂と呼ばれています。ちなみに文京区の表示は相生坂(昌平坂)で、団子坂を昌平坂、千代田区も団子坂を昌平坂と表示しています。

「(元禄三年)十二月十一日 孔廟搆造の地(注/湯島聖堂の孔子廟のこと)を昌平坂と称すべき旨仰出さる」(『徳川実紀』)
「『湯原日記』に元禄三年十二月十六日、聖堂の下前後の坂を今より昌平坂と唱ふべきよし定らると見ゆ、是魯国昌平郷になぞらへてかく名付玉ひしなり、元禄四年の聖堂図には堂の東に添て坂あり、其所に昌平坂としるせり」(『御府内備考』巻之二十九 湯島之一)

『江戸名所図会』に記された昌平坂

江戸切絵図に見る昌平坂


 

昌平坂
名称 昌平坂/しょうへいざか
所在地 東京都千代田区外神田2-2
電車・バスで JR御茶ノ水駅から徒歩3分。東京メトロ新御茶ノ水駅から徒歩3分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
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昌平橋駅跡

わずか4年ほどですが、中央本線御茶ノ水駅の神田寄り、昌平橋のたもとに昌平橋駅が開業していました。1年間は、名古屋〜東京を結んだ中央本線の起点駅にもなっているのです。今では駅舎の雰囲気はありませんが、往時のレンガ造りの高架が現存しています。明

昌平橋

神田川に架かる橋。江戸時代には上流の水道橋まで橋はなく、駿河台と本郷台は深い峡谷だったため、この橋は神田川を渡る重要な橋になっていました。現在の橋は大正時代架橋のコンクリートアーチ橋。照明なども往時のままに復元され、千代田区景観まちづくり重

北斎&広重 浮世絵に描かれた湯島聖堂・神田川

御茶ノ水駅から、ニコライ堂と湯島聖堂、2つの聖堂を結ぶ聖橋を渡ると、湯島聖堂。御茶ノ水と湯島は隣接していたことに改めて気づきますが、そんな湯島の端に建つのが、江戸幕府が昌平坂学問所を設置した、湯島聖堂です。脇を流れる神田川、見事な峡谷をつく

湯島聖堂

1690(元禄3)年、5代将軍・徳川綱吉によって建てられた孔子廟(こうしびょう=孔子を祀る霊廟)が前身。「日本の学校教育発祥の地」の碑が立つように幕府直轄の昌平坂学問所が置かれた地であり、菅原道真を祀る湯島天神(湯島天満宮)とともに、受験生

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