東京都西多摩郡奥多摩町、日原街道・東京都道204号(日原鍾乳洞線)沿いの山間を走る石灰石運搬用のトロッコ軌道が、奥多摩工業曳鉄線(おくたまこうぎょうえいてつせん)。JR青梅線奥多摩駅近くにある氷川工場(セメント工場)へ石灰石を運ぶ軌道で、日原街道途中、白妙橋北側に日原川をまたぐ橋梁があり、見学・撮影のポイントになっています。
鉱床で採石した石灰石を氷川工場に運ぶトロッコ鉄道
奥多摩のセメント原料としての石灰石は、昭和初期に浅野セメントが目をつけて、昭和2年に日原地区の山林(石灰石鉱床)を買収(浅野セメントは、勝峰山採掘場、白岩採掘場、梅ヶ平採掘場などで採石された石灰石を五日市鉄道と南武鉄道を経て川崎工場に輸送)。
昭和12年、セメントの原料となる石灰石の採掘と、御嶽(みたけ)から氷川(ひかわ=現在の奥多摩駅)間の鉄道敷設を目的として、日本鋼管と鶴見造船との共同出資で奥多摩電気鉄道を創立。
日原鉱床を含む奥多摩地域で石灰石を採掘し、氷川工場に搬送、氷川工場で選鉱し、氷川駅(現・奥多摩駅)から川崎工場へ石灰石を輸送するシステムを構築したのです。
実は、現在のJR南武線、JR五日市線、JR青梅線は、もともと浅野財閥が奥多摩の石灰岩を川崎(当初は東京・深川工場)に運ぶために敷設されたもの(後に国有化)。
昭和19年4月、御嶽〜氷川(現・奥多摩)間の開通(7月)を前に、戦時下の国策で鉄道敷設免許が国へと移されたため(鉄道の国有化)、奥多摩電気鉄道は奥多摩工業株式会社に社名変更、戦後の昭和21年12月、石灰石採掘・販売を開始しています。
石灰石の工場までの大量運搬用に築いたのが、日原鉱床~氷川工場の曳索鉄道(えいさくてつどう)で、戦後復興によるセメント需要の高まりと比例して生産量も増加し、昭和37年には年間238万t、国内第2位の生産量までに成長しています。
軌間は、762mm(2フィート6インチ)のナローゲージ(軽便鉄道)。
東京の復興を支えたともいえる日原鉱床が、大量の採掘で残りが乏しくなったため、昭和49年には日原川のさらに上流部の天祖山を開発。
天祖山鉱床〜日原鉱床にも曳索鉄道を敷設し、天祖山鉱床〜日原鉱床〜氷川工場というルートを築いています。
ただし、この曳索鉄道は、大部分が山中をトンネルで抜けていて、目にすることはできません。
石灰石を積んだトロッコが走行するのを目にできるのが、白妙橋〜川苔谷出合・川苔山登山口間の日原川の橋梁です。
撮影スポットにもなっている白妙橋は、日原川に架かる人道橋で、橋を渡った先には、知る人ぞ知る素掘りのトンネルがあり、日原渓谷の隠れスポットになっています。
奥多摩工業曳鉄線 | |
名称 | 奥多摩工業曳鉄線/おくたまこうぎょうえいてつせん |
所在地 | 東京都西多摩郡奥多摩町日原 |
電車・バスで | JR奥多摩駅から西東京バス東日原行きで10分、大沢下車、徒歩10分 |
ドライブで | 圏央道青梅ICから約30kmで白妙橋 |
駐車場 | 白妙橋駐車スペース(1台/無料) |
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