池波正太郎原作『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵、そして『遠山の金さん』、『江戸を斬る』でおなじみの遠山金四郎(遠山景元)。テレビや映画でも人気の題材ですが、実はふたりとも実在の人物で、偶然にも同じ屋敷に時を前後して暮らしたことがあるのです。その場所が、東京都墨田区菊川に。
鬼平が暮らした数十年後、遠山の金さんが入居
「鬼平」(鬼の平蔵)こと長谷川平蔵は、寛政の改革頃、火付盗賊改役(ひつけとうぞくあらためやく)を務めた旗本。
本名は長谷川宣以(はせがわのぶため)で通称が平蔵。
青年時代は放蕩無頼の風来坊だったというのは『鬼平犯科帳』の通りで、父。長谷川宣雄(はせがわのぶお)は京都町奉行なども務め、平蔵など家族とともに京都赴任中に没しています。
家督を継いだ平蔵は、当初は遊郭に通い詰めるなどする遊び人でしたが、老中・松平定信の人事で天明7年(1787年)、火付盗賊改役に。
寛政元年(1789年)、大盗賊・神稲小僧(しんとうこぞう)を捕縛、寛政3年(1791年)には凶悪な葵小僧をお縄にして、名声を高めています。
江戸の庶民から人気を博したものの、町奉行への出世はならず、松平定信の失脚もあり、引退しています。
8年間の在職中に石川島の人足寄場を創設するなど、功績を残していますが、その長谷川平蔵の屋敷があったのは、現在の東京都墨田区菊川。
明和元年(1764年)、本所三之橋通に屋敷替えをし、自宅で50歳の臨終を迎えるまで、ここで暮らしています。
若い頃、遊び人で「本所の銕」(ほんじょのてつ)と呼ばれたというのも、ここに住まいがあったから。
屋敷の西端にあたる都営地下鉄新宿線菊川駅の入口に史跡説明版が立っています。
丸山歯科医院あたりは東端部で、丸山歯科前に記念碑があります。
遠山金四郎は、本名・遠山景元(とおやまかげもと)で、江戸北町奉行、大目付、江戸南町奉行を歴任したエリート。
北町奉行には、天保11年(1840年)就任。
翌年には天保の改革が始まっているので、長谷川平蔵の活躍とは50年ほどの隔たりがあります。
その遠山金四郎が晩年暮らしたのが、長谷川平蔵が数十年前に暮らしていた屋敷ということに。
弘化3年(1846年)、屋敷替えで、遠山金四郎がここに移り住みますが、長谷川平蔵の孫の代です。
| 長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡 | |
| 名称 | 長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡/はせがわへいぞう・とうやまきんしろうやしきあと |
| 所在地 | 東京都墨田区菊川3-16-13 |
| 関連HP | 墨田区観光協会公式ホームページ |
| 電車・バスで | 都営地下鉄菊川駅から徒歩2分 |
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