日本最大のターミナル駅、新宿駅。副都心側の新宿西口で、伝統的な待ち合わせ場所が、『新宿の目』(L’OEIL DE SHINJUKU)。その存在を初めて聞く人は、「なんだろう?」という感じかもしれませんが、宮下芳子作のアート作品。三井ビル・住友ビル方面への地下道の壁に嵌められています。
昭和44年までは反戦フォークが響いた場所
『新宿の目』が制作されたのは、昭和44年なので50年以上、60年近くも経っているアート作品ということに。
単なるアートではなく、LED照明(当初は蛍光灯)で内部から照らされ、目頭と瞳の部分が回転しています。
『新宿の目』の右下には「作 宮下芳子」と書かれた立派な銘板が配されていて、新宿では元祖的なアート作品であることがわかります。
作者・宮下芳子によれば、雑踏の中で、「世の移り変わりを見る目玉」と考えたとのこと。
「時の流れ、思想の動き、現代のあらゆるものを見つめる“目”二十一世紀に伝える歴史の“目”・・・もしかすると 遠く宇宙を見っめる“目”かも知れない。このような多次元の“目”こそ新都心のかなめ『スバルビル』には最適、と思った」(宮下芳子)。
高さ340cm、幅1000cm、厚さ30cmのアクリル製。
「アートは独創とパワーだ」と語る、「見ること」と「見られること」の表裏を炙り出した宮下芳子らしい芸術作品となっています。
地上部分の新宿スバルビル(新宿スバルビル前はロケバスなどの待ち合わせ場所)が平成30年に取り壊され、新宿の目はどうなるかと話題になりましたが、存続しています。
ちなみに新宿の目の配された新宿駅西口地下通路は、新宿の目が設置される昭和44年まで新宿駅西口地下広場と呼ばれ、新宿の戦災復興計画の一環で築かれた場所。
当時は伝説の「フォークゲリラ」(ベトナム戦争反対の機運が日本国内にも盛り上がり、ヤングベ平連などの反戦フォークの活動拠点)の拠点で、多くの若者達が集まっていました。
規模が拡大したことで、交通の妨げになるとの苦情も出るように。
地下広場ではなく地下通路(公道)であると突如として変更され、道路交通法により昭和44年6月28日、機動隊による反戦フォークゲリラ排除を実施。
それ以降は地下通路となっています。
【待ち合わせ場所/新宿】新宿駅西口なら『新宿の目』 | |
所在地 | 東京都新宿区西新宿1-7-2 |
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