「鬼平」(長谷川平蔵)は実在した! ゆかりの地が東京に!

池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』。火付盗賊改方長官・長谷川平蔵を主人公とする捕物帖で、テレビドラマとしても人気を博してきました。主人公「鬼平」(おにへい)こと長谷川平蔵は、長谷川宣以(はせがわのぶため)が本名、通称が平蔵で実在の人物。寛政の改革期に火付盗賊改役の長官を務めています。

石川島・人足寄場

場所:東京都中央区佃1-11-4(中央区立佃公園)
内容:天保の大飢饉による無宿人の増大を背景に、寛政2年(1790年)、長谷川平蔵の提言で石川島に設置されたのが、人足寄場。
無宿人や軽犯罪者を収容し、職業訓練や教育を行なう施設で、明治維新まで存続しました。
長谷川平蔵が火付盗賊改の長官だった際には、直轄の組織でした。

人足寄場

【長谷川平蔵ゆかりの地】石川島・人足寄場

江戸・石川島(現・東京都中央区佃)に火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)・長谷川平蔵の立案で、幕府が築いたのが加役方人足寄場(かやくかたにんそくよせば/略称・人足寄場)。増大する無宿人を中心に軽犯罪者に対し、自立支援的な手法を取り入れ

長谷川平蔵屋敷

場所:東京都墨田区菊川3-16-13
内容:延享2年(1745年)、400石の旗本である長谷川宣雄の長男として、江戸赤坂築地中之町(現・東京都港区赤坂6-12)の拝領屋敷で生誕。
寛永3年(1764年)に鐵砲洲築地湊町に移り、さらに明和元年(1764年)、28歳のとき、本所三之橋通に屋敷替えをし、自宅で50歳の臨終を迎えるまで、本所で暮らしています。
若い頃、遊び人で「本所の銕」(ほんじょのてつ)と呼ばれたというのも、ここに住まいがあったから。
銕は、幼名が銕三郎(てつさぶろう)、あるいは銕次郎(てつじろう)だったからです。
長谷川家の家督を継いで平蔵を名乗るのは、安永2年(1773年)のこと。

長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡

長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡

池波正太郎原作『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵、そして『遠山の金さん』、『江戸を斬る』でおなじみの遠山金四郎(遠山景元)。テレビや映画でも人気の題材ですが、実はふたりとも実在の人物で、偶然にも同じ屋敷に時を前後して暮らしたことがあるのです

戒行寺

場所:東京都新宿区須賀町9-3
内容:寛政7年(1795年)、8年間勤めた火付盗賊改役の御役御免を申し出て、裁可されたわずか3ヶ月後に死去しています。
菩提寺は戒行寺で、供養碑も立っています。

長谷川平蔵供養碑(戒行寺)

長谷川平蔵供養碑(戒行寺)

池波正太郎の人気小説、そして人気時代劇『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵。実は、モデルとなった人物が実在しています。それが、長谷川宣以(はせがわのぶため)で、家督を相続してからは、長谷川平蔵と名乗っています。その菩提寺が四谷寺町の戒行寺。境

「鬼平」(長谷川平蔵)は実在した! ゆかりの地が東京に!
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「遠山の金さん」は実在した! ゆかりの地が東京に!

時代劇『遠山の金さん』、『江戸を斬る』の主人公、「遠山の金さん」。法名は遠山景元(とおやまかげもと)で通称が遠山金四郎・「遠山の金さん」。ドラマは史実と異なるものの、北町奉行と南町奉行を歴任したのは「遠山の金さん」だけ。身体に彫り物があった

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