江戸時代からの東京名物は数ありますが、飲料に関していえば、「天野屋」の甘酒はその筆頭です。神田明神(神田神社)前の明神甘酒の店ですが、往時には社前に100軒もの糀屋(こうじや)が軒を連ねたといい、その歴史と昔ながらの製法を今に受け継ぐのは、「天野屋」ただ一軒になっています。
弟の敵討ちのため、神田明神社前で茶店を開店!


江戸時代後期、弘化3年(1846年)創業という天野屋。
宮津藩(現・京都府宮津市周辺)藩士で初代・天野新助の弟は、剣の道を極めるために江戸で千葉道場に入門。
師範を務めるまでに腕を磨きますが、道場荒らしに遭い、皆殺しに。
不運な死を遂げた弟の仇討ちで、敵(かたき)を探して江戸に出てきたという、時代劇のストーリーの様な話。
参拝者も多い「江戸総鎮守」、神田明神の鳥居の脇に店を出せばという考えで店を開いたものの、敵に出会うことはなく、甘酒屋として繁盛したということに。
神田明神一帯の地盤は関東ローム層で、この赤土を6mほど掘り下げ、麹の土室(つちむろ)とし、ここで麹を発酵させ、6日間かかって甘酒にしているのです。
7代目当主・天野太介さんによれば、「関東ローム層は、年間を通して16度に保たれ、保湿、吸湿に優れていて、甘酒の製造にピッタリ」なんだとか。
市販の甘酒は「酒粕甘酒」、天野屋は「麹甘酒」

どぶろくの製法をアレンジしたのが甘酒ですが、初代・天野新助が店を開いた時に、すでに土室はあったのだとか。
米麹づくりのための土室がよく掘られていた地だったことがよくわかります。
江戸時代には砂糖は貴重品で、庶民には高嶺の花。
そこでこうした天然素材の甘みが重宝され、しかも夏バテにも効果があると人気を博していたのです。
飲む点滴ともいわれる甘酒ですが、江戸庶民はその効果を会得し、米麹、その発酵の重要性もよく理解し、江戸の町には、夏場に多くの甘酒売りが歩いていたのです。
スーパーなどで販売される甘酒は、酒粕を水と砂糖で溶かした「酒粕甘酒」。
天野屋の甘酒は米麹と米を原料に糖化させて製造する「麹甘酒」で、甘酒とはいうもののアルコール分を含まないので酒類ではありません。
米麹が発酵することで、でんぷんが糖化して甘みが生まれるのです。
つまりは、「麹づくりがすべて」というほど、大切な工程になるので、それこそが伝統のなせる技。
ちなみに、甘酒を沸かし、そのままにしておくと、上澄みと麹が分離しますが、10分ほどで分離するのは良くない甘酒なんだとか。
割り箸を入れて、箸に米粒状のものが付いてくるのは一流とはいえないとのこと。
天野屋に行ったら、のんびりと味わい、分離の遅さの確認もぜひ。
| 【東京の老舗】 地下の室(むろ)で「麹甘酒」が誕生!(天野屋) | |
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