東京の大名庭園へ行こう! 寄り道9庭園(千代田・港・品川・渋谷)
東京の大名庭園で、別に「必踏五大庭園」を紹介していますが、東京には大名庭園をルーツとする公園・庭園がまだまだ各地に残されています。『東京とりっぷ』取材班の調べでも残り18庭園が、確実に大名庭園の名残を示す庭園です。千代田…
東京の大名庭園で、別に「必踏五大庭園」を紹介していますが、東京には大名庭園をルーツとする公園・庭園がまだまだ各地に残されています。『東京とりっぷ』取材班の調べでも残り18庭園が、確実に大名庭園の名残を示す庭園です。千代田…
江戸に数ある大名庭園。東京とりっぷ編集部の調べでは、大名庭園の遺構といえるのは、23庭園。なかでも「ここはぜひとも探勝したい!」、「大名気取りで庭園を歩くことができる」とおすすめの庭園が、ここに紹介する「必踏五大庭園」。…
江戸城外濠跡に位置する日比谷セントラルビル。その公開緑地には江戸城外濠の石垣を復元保存しています。昭和9年に日産館、昭和19年に大日本帝国海軍の艦政本部などが置かれた場所で、昭和31年以降は三井物産の所有となり、物産館と…
江戸城の三の丸と二の丸を隔てる濠。平川門から江戸城に入ると左手に天神濠、右手に平川濠があります。今では土橋になっていますが、江戸城築城当初は跳ね橋で、いざという時には橋を落として防衛力を強化することができました。天神濠と…
近世最大級の城郭を誇る江戸城ですが、雉子橋門を起点に時計回りに新たに開削した神田川(仙台濠)に至るまで、全長14kmの外濠を巡らせていました。常盤橋門は、江戸城外郭の正門にあたる重要な門で、石垣が現存し、国の史跡となって…
江戸城の二の丸と本丸の間を東西に隔てる濠(ほり)が白鳥濠(はくちょうぼり)。南北に長く伸びて本丸を守るかたちになっています。濠の北側は汐見坂で、築城初期にはこの坂から日比谷入江を眺めました。白鳥濠は、完全に独立した濠で、…
江戸城の本丸と二の丸をつなぐ坂道。江戸城築城の際には、江戸湾の日比谷入江が目の前まで迫り、坂の途中から海が見えたのが名の由来です。往時には坂の上には、汐見坂門がありました。また坂の横には白鳥濠があって、防御が堅いのがよく…
皇居東御苑の梅の名所といわれるのが梅林坂。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになっています。もともと、太田道灌(おおたどうかん)が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社(みよしのじ…
多聞(たもん)とは城郭の石垣上に建てられた長屋のこと。通常の城壁より防御機能を高めたもので、富士見多聞は江戸城本丸に配された多聞。文字通り富士を眺めました(現在は眺望できません)。江戸城本丸には多聞が随所に築かれていまし…
現在は皇居東御苑の一部となった江戸城の本丸。その本丸跡の蓮池濠沿いにあるのが石室。文字通り、石で組んだ室(むろ=部屋)で、内部は20平方メートルほどの広さとなっています。石は伊豆半島から船で運んだ安山岩(伊豆石)の切石で…
江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で1630(寛永7)年に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636(寛永13)年には二の丸御殿…
社伝によれば、菅原道真の末裔にあたる初代別当の菅原大鳥居信祐が、道真ゆかりの「飛び梅」の枝で刻んだ天神像を祀ったのが始まり。1662(寛文2)年、4代将軍・徳川家綱が江戸の鎮守として社地を寄進、現在地に社殿が造営されまし…