東京都渋谷区、JR原宿駅竹下口から明治通りまで続く、全長150mほどの商店街が竹下通り。今では国際的な観光スポットで、訪れる人の半数は訪日外国人観光客という状況です。狭い道を挟んで90軒ほどの店舗がひしめくように並んでいますが、もともとは閑静な住宅街。過去には「竹の子族」をも生み出した竹下通りの歴史を探ります。
「竹の子族」が踊り、タレントショップが並んだ時代も

全国からこの街を目指してくる10代を中心とした若者層と、訪日外国人観光客向けのショップも多く、流行最先端のファッションアイテムや雑貨がリーズナブルな値段で買えるとあって、常に多くの人で溢れかえっています。
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「元気が出るハウス」(昭和62年に開店)をきっかけに、最盛期には42店もあったタレントショップは姿を消しましたが、今でも修学旅行の学生も立ち寄る名所。
かつて一帯は、山の手の静かな住宅街でしたが、戦後、現在の代々木公園(戦前は陸軍代々木練兵場)に連合国軍の宿舎であるワシントンハイツがあり(東京オリンピックの選手村となることで日本に全面返還)、一帯はアメリカナイズされた町へと変貌したのです。
ワシントンハイツの一部はNHKとなったことで、文化人や芸能人の歩く街としても注目され、ファッションストリートへと変貌。
とくに昭和49年、竹下通りを抜けた明治通り沿いにカルティエ、ゲランなど高級ブランドが入る「パレフランス」がオープン、3年後の昭和52年には原宿竹下通り商店会も発足し、山の手の住宅街はおしゃれな商店街へと姿を変えたのです。
昭和53年、神宮前交差点にファッションビル「ラフォーレ原宿」が誕生すると、原宿駅から神宮前への人通りが大幅に増加。
原宿駅竹下口を出た場所という好立地を活かし、昭和54年には竹下通りに「ブティック竹の子」がオープンし、大人気となりました。
代々木公園の歩行者天国でラジカセからディスコミュージックを流し、集団で踊るというパフォーマンスの「竹の子族」は社会現象にもなりました(人気タレント・沖田浩之も輩出)。
近年では、ファッションの町という雰囲気も薄れ、浅草仲見世プラス新大久保的なイメージに。
そんなかかで、「ブティック竹の子」、「マリオンクレープ」(昭和52年に出店)など老舗も健在です。

竹下通り、その歴史を探る | |
名称 | 竹下通り/たけしたどおり |
所在地 | 東京都渋谷区神宮前1丁目 |
電車・バスで | JR原宿駅から徒歩1分 |
ドライブで | 首都高速外苑ランプから約2.4km |
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