2025年1月18日(土)に東京都中央区日本橋浜町で開催されたのが『全国ナウマンゾウサミット』。実は日本橋浜町は、ナウマンゾウの1個体分の頭骨、そして体軸・体肢骨がともに発掘されている唯一の場所。その『浜町標本』が出土したのは1976年の地下鉄工事の際です。
「野尻湖友の会」の協力で3日間で発掘作業を完了
1976年2月、日本橋浜町の都営地下鉄10号線(都営新宿線)の掘削工事の際に、浜町駅ホーム北端から30mほどの地点(日本橋浜町2丁目)で見つかったもの。
ちょうど「小諸そば浜町店」の裏手辺りの地下22mです。
最初に見つけたのは作業員で、結果としてナウマンゾウの下アゴ付近でしたが、当初は、何の骨なのかわからなかったため、東京都教育庁・東京都文化課から依頼を受けた古生物学者で東京大学医学部助手(解剖学)の犬塚則久氏、和光高校講師の大澤進氏、そして「野尻湖友の会」東京支部が発掘調査を開始(関連する地下鉄工事は3日間ほど中断)。
2月末〜3月初旬に発掘調査が行なわれ、第四紀洪積世の上部東京層(12万年〜15万年前)の地層から、頭の骨、下アゴの骨、舌の骨、大腿骨、ヒザの骨、スネの骨、足首、指の骨などが発掘されたのです。
ナウマンゾウ3頭分の化石が確認され、東京都が費用を負担し、犬塚則久氏の手によって全身骨格を復元。
このナウマンゾウ発掘当時、すでに東京都内では20ヶ所ほどでナウマンゾウの化石が出土したいたので、ナウマンゾウの化石自体は珍しいものではありませんでしたが、ほぼ完全な形で見つかった例は全国にもなく、まさに唯一無二の貴重な出土となったのです。
「野尻湖ナウマンゾウ博物館」(長野県上水内郡信濃町)に展示されている化石や石器などは、「野尻湖友の会」が発掘したもので、こうした市民参加型の発掘活動が東京の発掘現場でも活用され、30人ほどの市民、研究者が参加することで3日間ほどの突貫での手掘り発掘作業が可能となったのです(参加した大学生がその後、研究者になった例も)。
発掘の地のすぐ東側には浜町公園が広がり、その脇を隅田川が流れていますが、太古、この地にナウマンゾウが闊歩していたことは、想像もできません。
浜町駅A2出口の近くの緑道には、2023年にナウマンゾウの化石「浜町標本」発掘の地と記された案内板も設置されています。
出土したナウマンゾウの全体標本は、八王子市の「高尾自然科学博物館」に展示されていましたが、閉館後、お蔵入りとなっていて目にすることができません(現在は「TAKAO 599 MUSEUM」に建て代わっていますがナウマンゾウは展示されていません)。
ちなみに東京23区では、1898年、日本鉄道・田端駅開業(1896年)後に、駅役員の官舎建設のため駅付近の崖を削った際に牙(切歯)の化石が出土、1906年に徳永重康(とくながしげやす)によってナウマンゾウであることが解析されています。
地下鉄の工事では、1971年、明治神宮駅を建設時にやはりナウマンゾウの化石が出土。
現在の東京23区もナウマンゾウが闊歩していた時代があったことは明らかです。
東京にもナウマンゾウがいた! 日本で唯一の完全標本が浜町で出土 | |
所在地 | 東京都中央区日本橋浜町2-59-3 |
場所 | ナウマンゾウの化石「浜町標本」発掘の地 |
電車・バスで | 都営地下鉄浜町駅からすぐ |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |