江戸城 中雀門(皇居東御苑)
江戸城の大手口の登城ルートで、本丸に至る最後の門が中雀門(ちゅうじゃくもん)。逆にいえば、ここが本丸・表御殿の玄関門となります。大手三の門、中之門を駕籠(かご)に乗ったまま通過を許された徳川御三家(尾張藩、紀州藩、水戸藩…
江戸城の大手口の登城ルートで、本丸に至る最後の門が中雀門(ちゅうじゃくもん)。逆にいえば、ここが本丸・表御殿の玄関門となります。大手三の門、中之門を駕籠(かご)に乗ったまま通過を許された徳川御三家(尾張藩、紀州藩、水戸藩…
江戸城登城の正面玄関である大手門を入ると江戸城三の丸。三の丸から濠(ほり)に架かった下乗橋を渡ると二の丸入口に大手三の門がありました。下乗橋の手前は広々とした空間で同心番所があり、大名のお供の者の監視をしていました。現在…
1606(慶長11)年に江戸城の縄張りされ、翌年完成した江戸城の玄関。1620(元和6)年の江戸城修復に際し、伊達正宗(だてまさむね)らの力により現在のような桝形形式(ますがた=橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門と…
江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)。江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました。1701(元禄14)年、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良…
徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿ですが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥(おおおく)。将軍の正室、子女や、奥女中(御殿女中)の居住空間だった場所で、映画やドラマにも描かれています。現在は皇居東御…
皇居東御苑内の広々とした芝生が広がる場所は、江戸城の本丸跡。表御殿、中奥(なかおく)、大奥に分かれ、表御殿は、諸役人が執務する幕府行政の中心機関で、将軍の謁見なども行なわれた建物。最も格式の高い「大広間」は正月などに諸大…
江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。同…
江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋(きたはねばし)門から入苑できます。大手三の門を入った中之門には江戸城の中でも最大級の巨石が使用されていますがその脇に位置するのが大番所。番…
江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。百…
江戸城本丸北隅にあった天守(天守閣)は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていました。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当。石垣は、南部、津軽の二候が築いた…
明治神宮は実は社殿のある、内苑、そして国立競技場のある外苑に分かれていますが、広大な内苑の社殿南側に位置するのが「御苑」といわれる庭園エリア。実は、明治神宮は、江戸時代には熊本藩加藤家下屋敷、そして彦根藩井伊家下屋敷のあ…
明治神宮の御苑に湧く湧水の井、清正井。水温は通年15度前後と一定で、毎分60リットルという豊富な水量を誇っています。この清正井は、江戸時代の初めに加藤清正が掘ったと伝えられる伝説の井戸ですが、井戸の写真を撮って、画像を待…