鍋島松濤公園
江戸時代には徳川御三家で吉宗を排出した紀州藩徳川家の下屋敷だったち地。元佐賀藩主の鍋島家が明治9年、この地に茶園を開いて「松濤」(しょうとう)の銘で売り出しました。後に一帯は宅地化され、高級住宅地として分譲されましたが、…
江戸時代には徳川御三家で吉宗を排出した紀州藩徳川家の下屋敷だったち地。元佐賀藩主の鍋島家が明治9年、この地に茶園を開いて「松濤」(しょうとう)の銘で売り出しました。後に一帯は宅地化され、高級住宅地として分譲されましたが、…
高遠藩主内藤氏の屋敷跡を4年の歳月をかけ整備し、明治39年に開園。昭和22年に国民公園として一般に開放されるようになった新宿の貴重なオアシスです。総面積約59haの広大な敷地の中央に、広い芝生を持つイギリス式風景庭園があ…
港区南麻布の高台(淀橋台)から台地下へという傾斜地を利用した公園。江戸時代には南部藩(盛岡藩)下屋敷だった地。明治中期から有栖川宮邸地となり、その後、高松宮家所有を経て、東京市に下賜されて有栖川宮記念公園、北側は東京府養…
中世の豪族の館に始まり、江戸時代は高松藩松平家の下屋敷、明治時代は旧陸海軍の火薬庫、大正時代からは皇室の御料地(白金御料地)と、長い間人が立ち入らない状態が続いたために残った貴重な自然。昭和24年、自然保護のため天然記念…
尾張藩徳川家の下屋敷時代の築山の名残というのが箱根山。山頂にある水準点の標高は44.6mで、人工の山ながら「東京23区の最高峰」で、山手線内の最高点。1671(寛文11)年、尾張藩2代藩主・徳川光友が造営を開始した下屋敷…
熊本藩主・細川家の下屋敷があったところで、屋敷や回遊式の庭園が整備されました。その大名庭園の東庭園部分が現在の戸越公園。江戸時代以降、所有者も転々と変わっていますが、大名庭園の池泉の雰囲気は残されています。
東五反田にある品川区立の公園。江戸時代は、岡山藩池田家下屋敷のあった地で、大名庭園の名残をとどめる池泉回遊式の庭園が現存しています。江戸時代から池田家の下屋敷があったことから池田山と通称されていたことが、公園の名の由来に…
東京都文京区本郷、東京大学本郷キャンパスにあるのが夏目漱石の長編小説『三四郎』のモチーフとなった三四郎池。東大本郷キャンパスは、江戸時代には加賀藩上屋敷だった地で、三四郎池もかつての大名庭園「育徳園」の一部。正式名は育徳…
早稲田大学の構内にある芝生の広がる開放的な庭と、池泉を中心にした日本庭園がある和洋折衷の庭園。明治20年、大隈邸が築かれた際に佐々木可村(鈴木柯村)が作庭、諏訪の銀次郎(庭師)や渡辺華石(画家)が加わって造園した庭です。…
新宿区立の公園で、江戸時代には徳川御三家・尾張徳川家の拝領地、後に御三卿清水家の江戸下屋敷だった地。現存する新宿区立公園では唯一の回遊式庭園は、この大名庭園を起源とするもの。明治時代には、子爵・相馬邸の庭園として整備され…
地元で「バッケ」と呼ばれる目白崖線(めじろがいせん)に沿って、台地から神田川の渓谷へと下る地形を巧みに活かした庭園が、結婚式や宴会場、そしてホテルとしても名高い椿山荘(ちんざんそう)の庭園。江戸時代には上総国(かずさのく…
幕末には熊本藩細川家下屋敷の庭園だった場所。明治15年には華族となった細川家の本邸になり、昭和35年に東京都が購入し、昭和36年に公園として開園。さらに昭和50年から文京区立新江戸川公園として開放されていました。平成29…