東京の大名庭園に行こう! 大名庭園って何だ!?
江戸時代の江戸の町(現在の東京都心)は、7割が武家の土地。なかでも面積の半分を占めていたのが、大名屋敷です。大名屋敷には競って大名庭園が築かれ、その数は数百とも、1000ともいわれています。現存する大名庭園はらしきものを…
江戸時代の江戸の町(現在の東京都心)は、7割が武家の土地。なかでも面積の半分を占めていたのが、大名屋敷です。大名屋敷には競って大名庭園が築かれ、その数は数百とも、1000ともいわれています。現存する大名庭園はらしきものを…
江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で1630(寛永7)年に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636(寛永13)年には二の丸御殿…
隅田公園は隅田川の両岸、台東区浅草、花川戸、今戸と墨田区向島にまたがる公園。桜並木は、8代将軍・徳川吉宗の命で植栽された桜がルーツ。とはいえ当時の桜は、ソメイヨシノではありません。公園となったのは大正12年、関東大震災の…
ホテルニューオータニ東京の建つ場所は、江戸時代の初めには熊本藩・加藤清正の下屋敷。その後は彦根藩井伊家の中屋敷となりました。周囲には紀州藩、尾張藩の下屋敷があり、紀尾井町という名を生んでいます。明治維新で伏見宮邸宅となり…
江戸時代には徳川御三家で吉宗を排出した紀州藩徳川家の下屋敷だったち地。元佐賀藩主の鍋島家が明治9年、この地に茶園を開いて「松濤」(しょうとう)の銘で売り出しました。後に一帯は宅地化され、高級住宅地として分譲されましたが、…
高遠藩主内藤氏の屋敷跡を4年の歳月をかけ整備し、明治39年に開園。昭和22年に国民公園として一般に開放されるようになった新宿の貴重なオアシスです。総面積約59haの広大な敷地の中央に、広い芝生を持つイギリス式風景庭園があ…
港区南麻布の高台(淀橋台)から台地下へという傾斜地を利用した公園。江戸時代には南部藩(盛岡藩)下屋敷だった地。明治中期から有栖川宮邸地となり、その後、高松宮家所有を経て、東京市に下賜されて有栖川宮記念公園、北側は東京府養…
中世の豪族の館に始まり、江戸時代は高松藩松平家の下屋敷、明治時代は旧陸海軍の火薬庫、大正時代からは皇室の御料地(白金御料地)と、長い間人が立ち入らない状態が続いたために残った貴重な自然。昭和24年、自然保護のため天然記念…
尾張藩徳川家の下屋敷時代の築山の名残というのが箱根山。山頂にある水準点の標高は44.6mで、人工の山ながら「東京23区の最高峰」で、山手線内の最高点。1671(寛文11)年、尾張藩2代藩主・徳川光友が造営を開始した下屋敷…
熊本藩主・細川家の下屋敷があったところで、屋敷や回遊式の庭園が整備されました。その大名庭園の東庭園部分が現在の戸越公園。江戸時代以降、所有者も転々と変わっていますが、大名庭園の池泉の雰囲気は残されています。
東五反田にある品川区立の公園。江戸時代は、岡山藩池田家下屋敷のあった地で、大名庭園の名残をとどめる池泉回遊式の庭園が現存しています。江戸時代から池田家の下屋敷があったことから池田山と通称されていたことが、公園の名の由来に…
東京都文京区本郷、東京大学本郷キャンパスにあるのが夏目漱石の長編小説『三四郎』のモチーフとなった三四郎池。東大本郷キャンパスは、江戸時代には加賀藩上屋敷だった地で、三四郎池もかつての大名庭園「育徳園」の一部。正式名は育徳…