旧野方配水塔

関東大震災後、東京市に隣接した町村の急激な都市化による水の需要に応じるため当時の13市町村によって造られた荒玉水道の給水場につくられた塔が野方配水塔。昭和41年に現役を退き、災害用給水槽として平成17年まで活用され、現在、旧野方配水塔として中野区のみずのとう公園内に保存されています。国の登録有形文化財。

関東大震災後に完成したモダンな水道塔

着工は昭和2年、完成は昭和4年。
塔の高さは33.6m、基部の直径は約18mの鉄筋コンクリート造り。
設計はドイツで衛生工学を学び、淀橋浄水場をつくった「近代上水道の父」・中島鋭治によるもの。

大正13年4月17日に「水道敷設準備調査会」が設立され、同年7月に中島鋭治工学博士に設計を依頼しています。
大正14年4月1日に工事実施認可を内務大臣に申請しています。
ところが、大正14年2月17日、中島鋭治工学博士が脳溢血で急逝。2月21日にはの葬儀が行なわれ、門下の工学士西大條覺(にしおおえださとる)が技師長として就任しています。

野方配水塔は、ドーム付円筒形水道塔としても初期のもので、水槽周壁上部にはアーチ形の窓が配されています。
塔には2000トンの水を貯水することができました。

板橋町(現・板橋区)に完成した大谷口配水塔と同じで、外壁部分は鉄筋コンクリートをモルタルで 覆った上から目地を入れ、ドーム型の屋根部の上にはさらに小さい塔がのり、ロマネスク様式を思わせる建築様式になっています。

栗山配水塔(千葉県松戸市栗山、土木学会選奨土木遺産)にも少し似てていますが、栗山浄水所配水塔は、昭和9年に江戸川水源工場として着工され、昭和14年に完成しているので、野方配水塔と大谷口配水塔を意識したデザインなのかもしれません。

荒玉水道
当時の豊多摩・北豊島両郡にある13の町々が「荒玉水道町村組合」(昭和7年が東京市水道に併合)を結成して築いた荒玉水道は、江戸時代から続く旧式の木樋水道を改良し、世田谷の喜多見で多摩川から引水していました。
荒玉とは荒川と多摩川のことで、将来的には荒川からも給水する計画だったことがわかります。
荒玉水道町村組合に参加の13市町村は、豊多摩郡の中野町、豊玉町、和田堀町、杉並町、落合町と北豊島郡の板橋町、巣鴨町、瀧野川町、王子町、岩淵町、長崎町、高田町、西巣鴨町。

 

旧野方配水塔
名称 旧野方配水塔/きゅうのがたはいすいとう
Nogata standpipe
所在地 東京都中野区江古田1-3 みずのとう公園内
関連HP 中野区公式ホームページ
電車・バスで 都営大江戸線落合南長崎駅から徒歩13分
駐車場 なし
問い合わせ 中野区公園維持・管理担当 TEL:03-3389-1111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
荒玉水道道路

荒玉水道道路

2022年3月3日
 

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