平河天満宮

江戸平河城の城主・太田道灌(おおたどうかん)が1478(文明10)年、江戸平河城内に天満宮を建立したのが始まり。徳川家康の関東入封で、江戸城の築城のため平川門外に遷座し、さらに1607(慶長12)年、2代将軍・徳川秀忠が現社地(貝塚)に遷しました。平河町という地名も平河天満宮(平川天神)に由来。

太田道灌が江戸平河城に勧請して創建したのが始まり

1478(文明10)年、太田道灌が江戸平河城の城内に川越城の三芳野神社(みよしのじんじゃ)に祀る菅原道真を勧請し、梅樹数百株を植えたのが平河天満宮の始まり。
皇居東御苑内に残る梅林坂は、平河天満宮の旧社地だった名残とか。
当時の城内には山王権現(現・日枝神社)、築土神社(つくどじんじゃ/現・千代田区九段)も鎮座していました。

太田道灌は、江戸平河城内で歌合(うたあわせ=歌人を左右2組に分け、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び)を行なうほどの歌人。歌人ゆえに天満宮を創建したのだと推測できます。

江戸時代には徳川幕府はもちろん、近くに屋敷を構える紀州藩、尾張藩の両・徳川家、井伊家などの尊崇を受けました。
新年の賀礼には、平河天満宮の宮司は将軍に単独で拝謁できる格式を得ていたとのこと。

境内には江戸時代に奉納された鳥居、石牛、常夜灯が現存

社殿前の銅鳥居は、1844(天保15)年12月に麹町周辺の人々によって奉納されたもの。鋳造したのは神田鍛冶町鋳物師、8代目・西村和泉。
現存する鳥居では千代田区最古の鳥居で、千代田区の文化財に指定されています。

拝殿前の狛犬(こまいぬ)は、菅原道真950年遠忌にあたる1852(嘉永5)年の再建で、千代田区の文化財に指定。
撫で牛」と呼ばれる石牛も、やはり1852(嘉永5)年の寄進。もともとは一対が奉納されましたが、現存するのは1基のみです。

常夜灯も同じく1852(嘉永5)年の寄進。こちらは寺子屋の雲龍堂、龍海堂の寄進。
雲龍堂は、麹町八丁目(現・麹町5丁目)、龍海堂は松田町(現・鍛冶町2丁目)で寺子屋を営んでおり、学業上達を祈願して奉納したものです。

このほか境内には地元の若者達が力自慢で持ち上げた「力石」などもあって、江戸の昔を偲ばせています。

江戸時代の盲目の国学者、塙保己一(はなわほきいち)も平河天満宮の熱心な信者で、平河天満宮に祈願しながら『群書類従』を完成させたのです。
塙保己一の住まいであった和学講習所は、現在の千代田区三番町24にありました。

蘭学者・高野長英の大観堂学塾は平河天満宮のすぐ裏手にあったので、高野長英もよく参拝に訪れました。

銅鳥居脇の常夜灯
拝殿前の狛犬
撫で牛
若者が力比べに使った力石

平河天満宮のおもな年中行事

1月1日/歳旦祭=1年最初の神事です
1月25日/初天神=毎月25日は天神様の縁日ですが、最初の縁日は大いに賑わいます。鷽鳥も500体限定で授与
2月初午/初午の御朱印=初午にちなんだ御朱印を授与
3月/梅花祭
4月25日/例大祭
6月30日/夏越の大祓式=半年間、知らず知らずのうちに積もった罪と穢(けがれ)を祓います。境内に茅の輪(ちのわ)を設置
7月7日/七夕祭
8月/夏祭
10月/平河稲荷神社例大祭
11月15日/七五三祭
12月25日/終い天神=1年最後の天神様の縁日です
12月31日/年越の大祓式・除夜祭=半年間、知らず知らずのうちに積もった罪と穢(けがれ)を祓います。境内に茅の輪(ちのわ)を設置

鷽替え神事に使われる鷽鳥

江戸切絵図に見る 平河天満宮

江戸切絵図には平川天神と表記されています。
平河天満宮の南東、西の町屋と東の武家屋敷の境目には馬場がありました。


 

平河天満宮
名称 平河天満宮/ひらかわてんまんぐう
所在地 東京都千代田区平河町1-7-5
関連HP 千代田区観光協会公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ半蔵門線半蔵門駅から徒歩1分。東京メトロ有楽町線麹町駅から徒歩3分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 平河天満宮 TEL:03-3264-3365/FAX:03-3264-0443
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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