吉祥寺随一のパワースポットは、武蔵野八幡宮!

この記事はパートナーサイト「吉祥寺つーしん」に寄稿したものです。
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吉祥寺の地名の由来、そしてそのルーツが現在の水道橋(東京都文京区本郷1丁目)あたりにあったことは、前回お話しました。
今回はその続編で、吉祥寺ナンバーワンのパワースポットを紹介します。


氏子の移転とともに氏神様も武蔵野にやって来た!

明暦の大火(通称「振袖大火」)と吉祥寺大火で、焼け出された吉祥寺門前町の住民。
江戸城外堀を前にして、かつては城内西の丸に鎮座した名刹・吉祥寺の門前町ですから、町民のプライドも高かったことでしょう。

そんな、門前町の住民も火事で焼き出され、4代将軍・徳川家綱(在職1651年〜1680年)の命により、神田上水(神田川)源流・井の頭北の荒れ地に新田開拓を目的に集団移住が行なわれました。
住民が移転すれば氏神様(地域住民の守り神)も氏子とともに遷ります。
寛文年間(1661年〜1672年)、武蔵野の地に遷座(せんざ)したのが八幡社(現在の武蔵野八幡宮)。

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『北多摩神社誌』や社伝によれば、延暦8年(789)、征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が宇佐八幡大神(八幡社の総本宮である、宇佐神宮)の分霊を勧請して現在の水道橋近くに創建したのが始まり。
それがホントなら、東京屈指の古社ということになります。

武蔵野に鎮座して以来、神田上水の水源地守護神、吉祥寺村民の氏神として崇敬されてきました。
文化・文政期(1804年〜1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、「安養寺の並びその寺除地の内にあり。」と記されています。
安養寺は、正式名を岸養山吉祥院安養寺といいますから、まさに江戸にあった吉祥寺ゆかりの寺。
(安養寺周辺には水道橋・吉祥寺界隈にあった宗派の異なる4寺が移転し、四軒寺町と称していました)

この安養寺は、今も武蔵野八幡宮に寄り添うように建っています。

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↑武蔵野八幡宮は井の頭池・神田上水の鎮守社でもあるのです

武蔵野八幡宮に祀られる最強の神様3柱とは!?

さてさて、パワースポットのお話。
パワースポットは、本来、パワーを貰えるならどこでもOKというものでもありません。

もっともパワーを得られるのが、地元の神様、そして自分のルーツに繋がる神様です。
それが氏神。そして地主神(じぬしのかみ)。

普段、その社前を通りすぎているかもしれませんが、吉祥寺界隈に住む、働く、学ぶ人なら、そのパワースポットは断然、氏神様である武蔵野八幡宮です。
主祭神は、誉田別尊(ほむたわけのみこと=応神天皇)。
源氏も、平家も武家なら誰もが信仰した八幡神。神仏習合時代には八幡大菩薩と称した武神です。
もうひとつ祀られるのが比売神(ひめがみ)。宇佐八幡では宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神としていますが、卑弥呼という説もあります。いずれにしろ大陸への玄関口だった玄界灘の女神、あるいは邪馬台国の女性首長が祀られているのですから、我らのルーツを拝むことになります。
残る最後の神様が、大帯比売命(おおたらしひめのみこと)。三韓征伐を指揮した神功皇后(じんぐうこうごう)です。

3柱とも実にパワフルな神様(うち2柱は女神様)なので、これは、必死に、ひたむきに頭を垂れねばなりません。

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実は、吉祥寺の今ある繁栄も、影ではこうした八幡神が見守り続けているのかもしれません。

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酒井正人(プレスマンユニオン理事)

ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。