皇居東御苑
江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。
江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。
東京にある大名庭園は、東京とりっぷ取材班の調べで全23。実は、ひょっとするとという候補がほかにもありますが、(池が大名庭園時代と同じ位置にあるなど)確定しているのは23ヶ所にすぎません。その23庭園を、取材班が「お気に入…
東京の大名庭園は『東京とりっぷ』取材班の調査では、目下、確定しているのが23庭園あります。そのうち、別に紹介した「必踏5庭園」を除く新宿区、文京区、台東区、墨田区に現存する大名庭園は9庭園。意外に新宿区に多いのが特長で、…
東京の大名庭園で、「必踏五大庭園」を紹介しましたが、東京には大名庭園をルーツとする公園・庭園がまだまだ各地に残されています。『東京とりっぷ』取材班の調べでも残り18庭園が、確実に大名庭園の名残を示す庭園です。千代田区、港…
江戸に数ある大名庭園。東京とりっぷ編集部の調べでは、大名庭園の遺構といえるのは、23庭園。なかでも「ここはぜひとも探勝したい!」、「大名気取りで庭園を歩くことができる」とおすすめの庭園が、ここに紹介する「必踏五大庭園」。…
江戸時代の江戸の町(現在の東京都心)は、7割が武家の土地。なかでも面積の半分を占めていたのが、大名屋敷です。大名屋敷には競って大名庭園が築かれ、その数は数百とも、1000ともいわれています。現存する大名庭園はらしきものを…
江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で1630(寛永7)年に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636(寛永13)年には二の丸御殿…
隅田公園は隅田川の両岸、台東区浅草、花川戸、今戸と墨田区向島にまたがる公園。桜並木は、8代将軍・徳川吉宗の命で植栽された桜がルーツ。とはいえ当時の桜は、ソメイヨシノではありません。公園となったのは大正12年、関東大震災の…
ホテルニューオータニ東京の建つ場所は、江戸時代の初めには熊本藩・加藤清正の下屋敷。その後は彦根藩井伊家の中屋敷となりました。周囲には紀州藩、尾張藩の下屋敷があり、紀尾井町という名を生んでいます。明治維新で伏見宮邸宅となり…
江戸時代には徳川御三家で吉宗を排出した紀州藩徳川家の下屋敷だったち地。元佐賀藩主の鍋島家が明治9年、この地に茶園を開いて「松濤」(しょうとう)の銘で売り出しました。後に一帯は宅地化され、高級住宅地として分譲されましたが、…
高遠藩主内藤氏の屋敷跡を4年の歳月をかけ整備し、明治39年に開園。昭和22年に国民公園として一般に開放されるようになった新宿の貴重なオアシスです。総面積約59haの広大な敷地の中央に、広い芝生を持つイギリス式風景庭園があ…
港区南麻布の高台(淀橋台)から台地下へという傾斜地を利用した公園。江戸時代には南部藩(盛岡藩)下屋敷だった地。明治中期から有栖川宮邸地となり、その後、高松宮家所有を経て、東京市に下賜されて有栖川宮記念公園、北側は東京府養…